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鳥取地方裁判所 昭和38年(タ)4号 判決

原告(反訴被告)

甲野一郎

(仮名)

原告(反訴被告)

甲野ハナ

(仮名)

右両名代理人

花房多喜雄

被告(反訴原告)

○○○○○

代理人

君野駿平

主文

一、原告(反訴被告)らの本訴請求を棄却する。

二、被告(反訴原告)と原告(反訴被告)らとを離縁する。

三、原告(反訴被告)らは、被告(反訴原告)に対し、連帯して金五〇万円及びこれに対する昭和三九年四月二八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四、被告(反訴原告)のその余の請求を棄却する。

五、訴訟費用は本訴、反訴を通じ原告(反訴被告)らの負担とする。

事実

第一、当事者の申立

(原告(反訴被告)ら)

一、本訴請求として

原告らと被告とを離縁する。

二、反訴請求につき

請求棄却。

(被告(反訴原告))

一、本訴請求につき

請求棄却。

二、反訴請求として

(一)  反訴原告と反訴被告らとを離縁する。

(二)  反訴被告らは、連帯して反訴原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する反訴状送達の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  第二項につき仮執行の宣言。

第二、当事者の主張〈以下略〉

理由

第一縁組成立の事情

(一)  〈証拠〉によると原告辰治(明治一四年生)は、肩書地において昭和一二年頃から○○製造業も営んでいるものであるが、大正一二年、原告ハナ(明治二五年生)を後妻に迎えたものの両者間には子供ができず、亡き先妻との間にできた子(利夫)を可愛がつていたけれども同人が、昭和一三年夭折したため、後継者を得るべく心を砕き、原告両名のために養子を迎える話もあつたが破談となり、昭和一六年頃、原告ハナが進言して養子に替えて、原告一郎に妾を迎え同人に辰治の実子を産ませて、一郎の事業、祭祀の後(承)継者を得ようとの相談がまとまりそれ以降適当な女性を捜していた。被告は、昭和二年、父訴外××××、母同△△の三女として出生し、同一六年春、高等小学校を卒業後、製糸工場等を経て、昭和二〇年一〇月頃から、原告一郎経営の会社に工員として勤務するようになつたところ、原告ハナは被告の人物を見込み原告一郎とも話し合つたうえ、被告を原告一郎の妾として迎えようとして(もつとも原告ハナは「妾」という呼名を避け、「第二夫人」と呼称した)、昭和二一年五月頃、被告に対し、「原告方に子がなく後継者がほしいので原告一郎の子を産むために原告方に来てほしい、このことは被告の両親に相談しないでほしい、さりとて自分一人で考えあぐねるだろうから神様に見てもらえ、子供ができたら子供に原告方の後を継がせ、被告もよければ居つてもらうし、子供ができないなら被告を原告方から嫁にやらせる」旨申向けて原告方に来るよう説得に当る一方、被告の両親には「原告夫婦は老令で身の回りの世話をしてほしいので原告方に来てほしい」と懇望したところ、九人兄弟で、家が貧しかつた被告は、原告一郎の年令に将来の不安を抱きつつも生活の安定のため原告ハナの申出を受入れ、同二一年五月末日頃から、原告方で暮らすようになり、やがて原告一郎の子を懐胎するに至つた。そこで原告ハナは被告の母親に右の事実を伝えたところ、被告の母は、当初、事の成行に驚いたが、事ここに至つたからは原告方において被告をよろしく遇するよう依頼し、かくて原告一郎と被告との間に昭和二二年七月三一日、訴外多○子が、次いで翌二三年一〇月二六日、訴外文○郎がそれぞれ出生したが、原告夫婦はもちろんのこと被告も子供の誕生を喜んだ。

原告方において、被告は原告夫婦から「キクノ」と呼ばれ、また工場の人からは「若奥さん」と呼ばれ、育児にあたる一方、原告方の日常の金銭出納を委せられ、雑事に励むほか、時間の余裕のあるときは工場に出て仕事を手伝い、あるいは外部との折衝にもたずさわつていた。その間、被告は原告一郎から僅かな小遣銭をもらうだけであつたが、原告方においてとりたてて冷遇されているというほどのこともなく家族として普通の待遇を受けており、昭和二七年頃まで、原告夫婦と被告との生活は円満に推移していた。ところが昭和二七年九月頃、被告に情夫ができたとの噂が流れ、これを原告一郎が関知するに及んで、同原告と被告との仲が悪化し、被告が商用で外出して遅くなつても同原告が被告を疑つて嫉妬するようになり、被告はこれに堪えかねて昭和二八年一一月文○郎を伴つて無断で原告方を出奔し友人を頼つて大阪方面に行き、就職したが、文○郎の依託先に窮し旬日を経ずして帰鳥した。

その後、被告は原告一郎との情交を避けて居室を異にし子供達とともに別室で寝るようにした(なお、この頃から原告ハナも倉庫の中で寝るようになつた)が、なお原告一郎は、時折、夜被告に情交をせまり、被告がこれを拒むと被告を罵倒する始末で両者の関係が悪化し、被告はその後も原告方を出奔することもあつた。

被告は右のような経緯から次第に原告一郎をいとうようになる一方、かえりみるに、原告夫婦の要望に従い原告一郎の二子を儲け、しかもその後も育児はもちろん、原告方の仕事や家事に従事しているにもかかわらず原告夫婦が未だ被告を入籍しないことに不満を抱き、かつ、前途に希望を失いて昭和三一年一月、二子を残したまま原告方を出奔して、○○市内在住の妹のもとにひそかに身を寄せたので、原告夫婦は、従業員の訴外桐○秀○郎に被告の連れ戻し方を依頼したところ、かねて被告の不満を聞いていた同人が、原告夫婦において被告の入籍を承諾するなら交渉に行くと答えたので、被告の行状に疑を持ち入籍を見送つていた原告夫婦も、被告を養子として入籍すれば被告も落着くと考えてこれに応じ、右桐○が、被告にその旨を伝え帰復を説得した結果、被告は右入籍の提案を容れ、かつ、子に対する愛情もあつて原告方に戻つた。そこで、原告夫婦は、被告が復帰した翌日の昭和三一年一月二四日、被告に、事業後継者の文○郎や多○子を原告方で養育してもらうと同時に、自分らの老後の面倒を見てもらう積りで、また、被告としても○○家の正式の一員となりたいとの要望をもつていたので被告との養子縁組の届出をなし、被告もこれを喜んでいた。

以上の事実が認められる。

もつとも、証人〈省略〉の各証言及び被告本人尋問の結果中には、被告は原告から養女として来てくれと懇望されてこれを承諾し、原告方に行つたにもかかわらず二日目の夜原告一郎から暴力で犯された。しかし一旦家を出た身故、実家に戻る訳にもいかずそのままいるうちに妊娠し、これが実母に知れて実母から家に一切戻るなといわれ、そのうち子供が出生したため、これが自分の運命とあきらめ泣く泣く暮らしていたのであるとの供述が存するけれども、被告の年令にかんがみ、被告が、初めて、原告一郎と同衾するに際し大きな不安ないし恐れに近い感情を抱いていたであろうことは想像に難くないが、さりとて供述は、右認定事実に照らし信用できず、他に原告らがその当初において被告を養女とすることを承諾したこと及び原告らが、同居後、昭和二七年の鳥取大火の頃まで、被告を女中扱いしあるいは虐待したと認めるに足る証拠はない。

原告らは、被告の前記数回の家出は情夫訴外松本某ができたことに専ら起因すると主張するところ、原告本人(両名)の尋問の結果中には、右の趣旨に副う供述があり、証人〈省略〉の証言によると、昭和二七、八年頃、被告がひそかに妊娠中絶をした事実が窺われないではないけれども、証人〈省略〉の証言及び前記認定の事実に照らすと、被告の家出が、専ら被告の不行跡によるものとは到底考えられず、他に原告らの主張を認めるに足る証拠はない。

(二)  右認定事実によれば原告夫婦が、当初、被告を迎えたのはその血統継続のための昔のいわゆる妾制度にならつたものというべく、その限りにおいては、当時、両当事者間に親子関係を成立させる意思はなかつたものといわなければならないが、昭和二七年頃から被告は原告一郎と同衾を避けるようになり、果ては、原告方におけるわが身の不安定な境遇に対する不満から原告一郎との従前の関係を絶ととうしたところ、原告夫婦としては二子を手許においてその養育と自分らの老後の世話を被告に期待する気持から被告を原告方に安定させるべく被告と養子縁組を結ぶ意思を有するに至り、被告も原告夫婦と養子縁組を結ぶことによつて原告方における安定した地位を確保しようとして原告夫婦からの養子縁組の申入れを容れて両当事者間に養子縁組の手続がとられたものとみられるので右縁組の成立において欠くるところはないものということができる。

第二離縁原因の有無

(一)  そこで前記のように原告夫婦と被告との間に養子縁組が成立したにもかかわらず、その後、本件縁組を継続し難い重大な事由が生ずに至つたとして、離縁を求める原告らの本訴請求及びこれに対する被告の反訴離縁請求について判断するに、被告が子供二人を連れて原告方を無断で家出し、高令の原告夫婦の復帰要求にもかかわらず、現に原告夫婦のもとに帰る意思のないこと、また、その故に原告夫婦もかかる被告との間で養親子関係を継続していく気持のないことは原告(両名)及び被告各本人尋問の結果によつて認められ、その意味では本件養親子関係は破壊され、もはや、これは継続し難い事態に立至つているものといわなければならない。

ところで、民法八一四条一項三号の離縁請求権は、有責者が、無責者を相手方としてその意思に反して離縁の請求をすることは許されないものと解されるので、本件縁組の破綻につき、当事者双方のいずれが有責であるかを検討する。

原告らは、(1)被告が、本件縁組成立後も訴外某と情交を結んで注意にも耳を籍さず、かえつて悪口雑言を浴びせ、(2)また、原告らと二子との間の離間を計つて原告らと被告との間に自ら紛争の種を作りながら、二子を伴い無断で原告方を家出し、老境にある原告らを見捨てたまま復帰しないのであるから、本件縁組破綻の有責者であると主張する。

〈証拠〉を総合すると、

(1)  前記のとおり原告夫婦と被告との間で養子縁組の届出がなされたのであるが、昭和三五年九月頃から、原告一郎が被告と訴外某との関係を邪推して妬嫉し始め、一郎と被告の仲は再び悪化し、被告が、原告一郎に行動の自由を主張するや原告一郎は、是非とも自由がほしければ子を置いて出て行け、離縁しようと反ばくするような事態になつていつたこと。

(3)  原告夫婦は、もともと文○郎及び多○子を、先妾の子(利夫)の身代りとして信心によつて授かつた子であつて、被告はただ腹を借りたものに過ぎないと考えていたことから、子供らに原告ハナをば「お母さん」と、そして被告を特に「かあかん」と呼ばせていた(もつとも子供らは、小学校入学後、被告をも「お母さん」と呼ぶようになつていた)のであるが、子供らは進級するに及んで右のごときいさかいに接するにつれ被告の立場の異常性に気付き、被告に同情するとともに原告夫婦に反抗的態度を示し、かつ、その頃から原告ハナと被告の二人を母と呼ぶことに疑問を感じ、原告ハナを「お母さん」と呼ぶことをやめ、多○子は原告ハナと一緒に寝なくなつた。このため原告夫婦は、これを不満として子供達を叱るようになり、ますます原告夫婦と被告並びに子供二人との間は離間するようになつたこと。

(3)  昭和三七年三月、文○郎の授業参観日に学校に行こうとしていた被告に対し、原告一郎が、「女中が何しに行くか」と子供らの前で面罵したので、被告が「女中でこの家に来た者でない」と応酬したところ原告一郎は被告を叩こうとなし、傍にいた文○郎がこれを止めるや原告一郎は「子供までわしに向かうのか」といつて文○郎と叩き合いの喧嘩を始めたこと。

(4)  そして、その頃、原告一郎は子供のことから被告と喧嘩となり、被告に対し、「金をやるから子供を置いて出て行け」と申向け、被告の親戚や兄弟を呼び集めて話し合つたが、原告一郎は、被告には男があると言張り金も出さずに被告を追出しにかかつたので話がまとまらなかつたこと。

(5)被告は、自分のみならず子供まで原告一郎と抗争するようになつたことから、このまま原告方で生活を続けることは子供の教育上も好ましくなく、また被告としても、今なお、原告一郎から夜の情交を求められることがあつてかかる生活から脱出すべきときであると判断し、昭和三七年四月一日、原告夫婦が寺詣りをしている留守中、無断で、自分及び子供二人の衣類、夜具等を運び出したうえ、当時中学校三年の多○子、同二年の文○郎を伴つて原告方を出、妹訴外尾○節○子方に身を寄せたこと。

(6)  その後、原告夫婦は、被告の兄に対し、子供らを原告方に引取り、被告を原告方から他に嫁がせる旨申入れたが容れられず、また多○子や文○郎に、自らまたは知人を介して帰宅を勧めあるいは入学祝や修学旅行の小遣等を送り届けようとしたが、子供らが母が帰れば帰ると答えるのみで原告夫婦からの贈物も受取らなかつたため、原告夫婦は、子供がかかる態度をとつたのも、被告が子供を右のように仕向けたものと信じ込み、被告に激しい憎悪を感じていること。

(7)  被告は、原告方を出た後、官庁の食堂に勤務して子供二人を高校にも進学、卒業させ、現在、子供らは就職していること。

以上の事実が認められ、右認定に反する原告本人(両名)の尋問の結果は信用できない。

(二) まず原告らが被告が有責であると主張する(1)の点について考えてみるに本件縁組には、原告一郎と被告との間に生れた二子を原告方で養育することを目的とする縁組意思が含まれているものの本件縁組の効果として被告が負うべき法的義務は原告ら老夫婦及び二子の面倒をみるための同居を前提とする扶養義務(民法八七七条一項)の範囲、即ち通常の親子関係から生じる基本的義務及びそれに附随する義務の範囲にとどまるのであつて、被告が本件縁組成立前、原告一郎との間で妾奉公のごとき関係にあつたことは何ら本件縁組意思の内容に影響を与えるものではなく、従つて被告は、右の範囲の義務を超え、かつ養親子関係と矛盾するような守操義務ないし行動を制約されるような義務を負担するものではないのであつて原告らの右(1)の主張事実が、養親子関係を破壊するに足るものであるときは別として、単に原告一郎に対する守操義務違反に当るものであるときには右主張自体失当というべきである。しかも証人〈省略〉の証言によると被告は前記の妹の縁談につき紹介の労をとつた事実が認められるにとどまり、本件全証拠によるも被告と右某との間に右以上の関係を認めることができず、また前記認定によれば被告が原告夫婦に自己の自由を求め反抗的言辞を弄していた。(第二、(一)(1)、(3))ことは否定できないけれども、それが本件養親子関係を破壊するような程度の反抗的ないし侮辱的言動であつたとは到底認められない。

次に、(2)被告が原告らと二子との間を離間して紛争の種をつくりながら、家出して原告らを見捨てたとの点であるが、前示認定事実を総合すると原告一郎と子供らの対立は被告が二子を使嗾した結果とは認められず、むしろ子供達が被告の原告方における異常な立場と原告一郎の被告に対する侮辱的言動に抵抗し、生母の被告に同情したことによるものと考えるのが相当であり、被告が無断で家出をし、原告方に復帰しない点につき被告にその責を帰すべき事実があるものとは認められない。

(三)  かえつて、被告が、原告方に迎えられる至つた当初の経緯から本件縁組の成立を経て破綻に至るまでの前記認定諸事実を総合すると、原告夫婦は本件縁組成立後の一時期を除き被告を目して腹を借りる目的で迎えた女に過ぎずとなし、また原告一郎との間に生れた二子は先妻の子の生れ代りであり、神・仏の子であるとの考えを有していることが明らかであつて、このような考え方が原告夫婦にとつて何ら疑問のないものであつたとしても他人にこれを押しつけることのできるものでないことはいうまでもない。そうして右考え方こそ原告夫婦と被告との人間関係を破綻に陥れる原因であつたといわなければならない。それで原告失婦と被告との間に本件縁組が成立しているにもかかわらず、縁組成立前と同様に被告は原告一郎に操をたて、かつ、原告失婦に奉仕すべき女だと考えて被告の行動を規制し、しかも原告一郎は高令をもかえりみず妬嫉心から被告と某との関係を邪推していさかいを繰返し、自己の意にそわないとみるや己の立場の限界に思いを馳せることなく被告の二子に対する親の立場をも無視し被告を追出そうとなし、また、成長しつつある子供にも意を用いることなく原告失婦ともども被告との間の不自然な親子関係を強要し、子供らの反発を招き、遂に被告をして、被告のみか二子をも伴つて原告方を去らざるを得ない立場に追込んだとみるのが相当である(被告が原告失婦の後継者を生むことを承諾し、原告方に入り、また前記甲第一号証によれば原告ハナが二子と養子縁組を結んでいることが認められるにしても被告と二子との自然血族としての親子関係は否定すべくもなく、原告失婦は子供の成長につれ二子に対する被告の立場に考慮を払うべきであつたと考えられる)。

(四)  以上要するに、被告が、二子を伴つて原告方を出奔し原告方に復帰しないのは本件縁組成立後においても原告ら、ことに原告一郎が、被告を単に妾として取扱う態度を変えず被告の子供らに対する立場を否定したことに起因していると考えるべきであるから、このようにして本件養親子関係が既に破綻し回復できない状態に立至つた原因につき有責な原告らの本訴離縁請求は許されないというべく、これに対し被告の反訴離縁請求は理由がある。

第三慰藉料請求について

本件縁組成立後の原告一郎の被告に対する縁組破綻の原因をなす前記一連の行動は、養親子関係はおろか被告の立場をも無視し、かかる地位に甘んじない被告を自己の意にそわないとして、他に何ら正当な理由なくして同人を追出そうとし、しかも右の行動により、本件縁組関係が解消することを当然予想(むしろ期待)していたものと認められるから原告一郎は右不法行為によつて被告の被つた精神的苦痛を慰藉すべき義務を負担するものというべきであり、また原告ハナは、自ら、被告に対し明白かつ具体的な行動に出ていないけれども、本件縁組成立前から(もともと本件のごとき悲劇的結末を生じたのも原告ハナが原告一郎に腹を借りることを勧めたことによるがそれは別として)原告一郎の行動に終始同調し、支持し、しかも原告一郎の右行動により本件縁組が解消することを当然予期していたものと認められるから、共同不法行為者として、右不法行為につき原告一郎と連帯して同人と同一の義務を負担すべきである。

しかして、その慰藉料の金額は、前記認定の原告らと被告との年令、職業、本件縁組成立に至る事情、縁組の内容、縁組の継続期間、〈証拠〉によつて認められる原告一郎の資産その他諸般の事情を総合すると金五〇万円をもつて相当と思料する。

そして、本件反訴状が原告らに送還された日が、昭和三九年四月二七日であることは本件訴訟記録に徴し明らかであるから、原告らは、右金額につき右翌日以降完済に至るまで民事法定利率たる年五分の割合による遅延損害金を連帯して被告に支払うべきである。

第四結論

以上説示したとおり原告らの本訴請求は理由がないから、これを棄却すべく、被告の反訴請求は、主文第一、二項記載の範囲内で理由あるものとして認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九二条、九三条を適用し、なお仮執行宣言の申立については相当でないからこれを却下する。

よつて主文のとおり判決する。(中村捷三 小北陽三 中川隆司)

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